今年、2015年はUKプロジェクトから
たくさんの新しいアーティストの作品をリリース致します。
新たに出逢った才能を、私達が好きになったアーティストを、
一人でも多くの人に知ってもらいたいと思ってこのサンプラーCDを制作しました。
このCDには、9組のフレッシュなアーティストの音源を1曲ずつ収録しています。
『これから』を作る彼らに興味を持ってもらえると、嬉しく思います。

今年「はじめての作品を出す新人の彼ら」「昨年リリースしたての彼ら」と同じく、
以前にファーストアルバム、UKプロジェクトからのデビュー作をリリースした事のある先輩アーティストからいただいた『ファースト』についてのレビューも
このページに掲載しました。
今ではあまり語られる事のない、ファーストの頃の気持ちや、思い出や、
UKプロジェクトについてのあれこれを、コメントしていただきました。
また、その当時関わっていたスタッフも、作品についてだけでなく、その頃の気持ち、アーティストに対しての思い入れを書いています。


『誰もがファーストアルバムを出している』
今、大活躍しているアーティストにもまっさらの新人の頃がありました。
これからCDを出す新人誰もが、そんなアーティストになる可能性があるんです。

自信をもってオススメする、これからの新しい才能、是非ご注目ください。


<<このサイトは2015年8月31日までの期間限定の特設サイトです>>
ダウンロードページでは2015年6月16日(火)までの1週間期間限定で
9組の音源をフリーダウンロードできます。
音源は8月31日までストリーミングで聞く事ができます。


この9組のアーティストが先輩達と共演するUK.PROJECTの
オールスターイベント「UKFC on the Road 2015」の特設サイトはこちらです

▶「UKFC on the Road 2015」公式サイト
http://ukproject.com/ukfc2015/

このサイトで気になったアーティスト見つかったら、UKFCにもぜひお越し下さい。
M1<magic>
asobius
【アソビウス】
Vo 甲斐一斗 / Gt 髙橋真作 / Gt 杉本広太 /
Ba 海北真 / Dr 石川直吉
オフィシャルサイト
http://asobius.com/

壮大な確信の歌と"遊び"心溢れるサウンド
a
sobius Vo.の甲斐です。
今回はこのサンプルを開いていただいてありがとうございます。
今の時代、実は次々新しく音楽が出過ぎて自分にピッタリの新しいアーティストに出会うのが根気が必要なぐらい逆に難しくなってきました。
なので僕個人としては一人でも多くの人の特別になりたいし、こうして出会いの形の一つとしてサンプルCDという物が解禁になるのは、音楽に対するリスペクト(=キチンとお金を払う)という所で色んな意見があると思いますが、とても嬉しい事です。
このCDをきっかけにあなたがあなたにとって特別なアーティストに出会える事を祈っています。
中でもasobiusをよろしくね(笑)!
(Vo 甲斐一斗)
うやくasobiusというバンドの形が出来上がった。
この2年間で「ただの音源は良いバンド」から「ライブで感動するバンド」へと成長した彼らの全て詰めこんだ、確信を持って世界へ送り出せる作品となった。
緻密に組み上げられたシンセサウンドはもとより、複雑なコーラスワーク、精密なツインギターの絡み、挑戦的で美しいベースフレーズ、ボーカルとの絡みがうまく考えられたドラムフレーズ。
それらが見事に一つとなって産まれた曲たちは、asobiusにしか産み出せない完全なる個性を発し、それでいて一曲一曲の色が全く違う「13篇の珠玉のストーリー」。どの曲を聴いても挑戦と新たな発見がある。そんな素晴らしい作品。今までの音楽観が変わる一枚。
(RX-RECORDS 酒井政洋)
2011年10月結成 2013年RX-RECORDSよりMini Album 「Rainbow」リリース 2014年1st Album「pray&grow」リリース 2015年楽曲「window」が「い・ろ・は・す」~ビッグドロップ篇~CMタイアップに 同年4月2nd Album「ultrarium」リリース 洋楽のような壮大なスケール感と美しいメロディが絡み合った緻密なサウンドで独自の道を歩む

6/13(土) 名古屋 APOLLO BASE
6/14(日) 大阪 あべのROCKTOWN
7/02(木) 千葉LOOK
7/10(金) 東京TSUTAYA O-nest -ONEMAN-
8/18(火) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M2<新木場発、銀河鉄道>
ウソツキ
【うそつき】
Vo&Gt 竹田昌和 / Gt 吉田健二 /
Ba 藤井浩太 / Dr 林山拓斗
オフィシャルサイト
http://usotsukida.com/
新たな時代の王道はこのバンドが作る!
じめまして。
ウソツキをやっている竹田です。
初めてUKプロジェクトの事務所に行った時、僕は代沢レコードがいいと決めていましたがやんわり濁されました。ただ話の終盤僕が遠藤さんの文章を読んだと言うと、今にもずり落ちそうに椅子に座り、物凄い低い声で喋っていた遠藤さん(ちょーこわかった)が突然笑い出し悔しそうに「じゃあ、代沢だ」と言ったのを覚えてます。まるでそれはそう言われたらそうしようと決めていたように見えて、すごい人だなぁと思いました。
皆さん、こんなこと新人の僕が言うのもあれですがUKFCなど1年間参加してこの音楽レーベルはとても愛があって、僕は大好きになりました。
なので皆さんもUKプロジェクトをさらに好きになって貰って、ついでにウソツキも好きになってくれたらなぁなんて思ってます◎
(Vo&Gt 竹田昌和)
らの担当になって1年ちょっと。これまでの日々の中で印象深い大舞台が2つあります。
1つ目は新木場STUDIO COASTでのUKFC on the Road。多くのお客さんが期待して観てくれているのが実感できる歓迎っぷりに応えるような、いつも以上に大きなライブにグッときました。
2つ目はNHKホールで行われた「MUSIC JAPAN」の収録。初めてのテレビにも関わらず、3,000人のお客さんの前で堂々としたバンドの佇まいに感動しました。
ウソツキはこんなでっかいステージが似合うんです。きっとそう遠くないうちに、想像以上に素敵な景色を観せてくれるかもと思わせるバンドなんです。僕はこの大きな可能性にかけてみたいと思います!
(UK.PROJECT 今井貴彦)
2013年夏に4人編成となり、都内を中心に活動している王道うたものバンド。 2014年6月に1st Mini Album『金星人に恋をした。』でデビュー。 2015年1月、2nd Mini Album『新木場発、銀河鉄道は行く。』を発売。 よりポピュラリティを増したメロディ、バンド感溢れるサウンドで更なる飛躍が期待されている。

6/24(水) 仙台MACANA
ウソツキpresents「ハレソウ」ツアー
6/26(金) 新代田FEVER
ウソツキpresents「ハレソウ」ツアー
6/28(日) 長野茅野市民館
OTOSATA ROCK FESTIVAL 2015
7/02(木) 梅田Shangri-la
ウソツキpresents「ハレソウ」ツアー
7/04(土) 大阪 見放題2015
7/05(日) 広島4.14「タワヒロは見たVol.7」
7/26(日) 福岡海の中道海浜公園
NUMBER SHOT 2015
8/16(日) 名古屋ELL3会場
TREASURE05X
8/19(水) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
新木場発、銀河鉄道は行く。ウソツキ TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
M3<ユアンと踊れ>
Helsinki Lambda Club
【ヘルシンキ ラムダ クラブ】
Vo&Gt 橋本薫 / Gt 佐久間公平/
Ba 稲葉航大 / Dr アベヨウスケ
オフィシャルサイト
http://www.helsinkilambdaclub.com/

とにかくポップ。ひたすらポップ。
校時代から漠然と憧れていたインディーズレーベル。17歳の時に初めて下北沢に来て、当てもなくぶらついていた時にイヤホンから流れていたのはUKPのアーティストでした。UKPっぽくないとよく言われますが、UKPの新しい"らしさ"になれるように頑張ります。
(Vo&Gt 橋本薫)
分達の好きな音楽を作って、好きなように演奏しているだけですが、そんな勝手気ままな僕達の音源をリリースさせてくれるレーベルがある事や対価を払って聴いてくれている人達がいる事を考えるといつも言葉では言い尽くせない気持ちになります。この場をお借りして、本当にありがとうございます。
(Gt 佐久間公平)
くさん蝸牛で機械的振動から電気的信号へ変換してください!!!!
(Ba 稲葉航大)
がドラムを始めた高校生の頃から、憧れのアーティストが多く在籍していたUKP。今こうして活動できている事が心から嬉しいです。僕らもいつか誰かの憧れになってたりするんでしょうか?頑張ります。
(Dr アベヨウスケ)
らを知ったきっかけはUK.PROJECTのオーディションである。
応募してきた音源は「ルイジアナの類人猿」という曲名で、 流行っている音とはほど遠く、サビがどれなのかもわからない、 でもフレーズはめちゃくちゃ耳に残り、なんて変なセンスをしてるバンドなんだ!! と一瞬で心を奪われてしまったが、変なセンスすぎて優勝なんてできないだろうな、と思っていた。
しかし、あっさりと優勝してしまったので拍子抜けしてしまった。
彼らの鳴らすひねくれた音楽は、その「拍子抜け感」がいい意味でよく現れている。
ひねくれてるのに、メロディはポップ。ひたすらポップ。
その見事なバランスに脱帽しつつ、彼らに恋するこの気持ちはどうやって放出したらいいのか。
今後、彼らへの期待は膨らむばかりなのである。
(UK.PROJECT 田巻行子)
2013年夏、西千葉のガザルでバンド結成。 PAVEMENTとCLASHが恋人同士になってしまったような、ポップなのにどこかひねくれたメロディと、ひねくれているようで割と純粋な心情を綴った歌詞が特徴。 2014年から数々のオーディションに入賞し、UK.PROJECT主催のオーディションにて見事最優秀賞獲得。 念願だったUK.PROJECTからのリリースを果たす。

6/25(木) 新宿red cloth
7/1(水) 下北沢LIVEHOLIC
7/3(金) 下北沢Laguna(アコースティック編成)
7/16(木) 新代田FEVER
7/29(水) 吉祥寺シルバーエレファント
8/4(火) 渋谷La.mama
8/19(水) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M4<SOAR>
Cettia
【セティア】
オフィシャルサイト
http://cettia.net/


心に突き刺さる、脆く繊細で冷たく暖かい歌
2
014年春、オーディションに応募した事がきっかけですばらしい先輩アーティスト方の在籍するUK.PROJECTに所属することができ、とても嬉しく思います。
 先を走る先輩方の姿を見つつ、わたしはわたしらしく歌っていきたい。
 これからも曲を書き続け、音源を作り、そしてステージの上であなたと会えることを楽しみにしています。
 Cettiaの音楽がどこまでも届きますように。
 まだ見ぬあなたの手のひらに飛び込んでいけますように。
 そしてできれば、ずっと側に置いてくれますように。
(Cettia)
が違う。見ている世界が違う。
初めてCettiaというアーティストのライブを見た時に感じた違和感と確信は見るたびに強くなっていった。
17歳という若さだからこそ感じられる世界との境界線を見ているのかもしれない。
聴く者のその時の気持ち次第で七色に変化する、日々成長する曲たち。
表現の力強さと魂を削るように紡がれた言葉、脆く繊細でいて冷たく暖かい歌声は、彼女にしか出せない、今の彼女自身の全てが詰め込まれているような人間味を感じることができる。
今作はmasasucks(the HIATUS/FULLSCRATCH)氏をプロデューサーに迎えたことによって彼女のその素晴らしき表現がさらに拡がった作品となった。
エモーショナルで若々しい声と拙いながら発せられた言葉の数々。美しいひとつの世界をぜひ見て欲しい。
(RX-RECORDS 酒井政洋)
15歳よりギター、作曲を始め、2013年よりライブ活動を行う 2014年、UK.PROJECT主催オーディションにて特別賞を受賞 2015年2月、RX-RECORDSよりデビューミニアルバム『he(a)re』をリリース 耳馴染みの良いメロディに洗礼されたサウンドメイキング、10代という不安定ながらも研ぎ澄まされた感性で紡ぐ等身大の言葉。そして脆く繊細かつ力強い歌声は聞く者の心に爪痕を残す

6/07(日) SAKAE SP-RING 2015
6/26(金) Zher the ZOO YOYOGI
7/20(月祝) 風知空知
8/18(火) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M5<飾りすぎていた>
odol
【オドル】
Vo&Gt ミゾベリョウ / Gt 井上拓哉 / Ba Shaikh Sofian /
Dr 垣守翔真 / Pf 森山公稀
オフィシャルサイト
http://odol.jpn.com/
オルタナティヴロックとポップを繋ぐバンド
おどる」と読みます。
5/20に、私たちの1stアルバム、「odol」がリリースされます。バンドを始めた頃、いつかこんな日が来ればいいな、と思っていました。
これまで、多くの方々に出会い、今回アルバムという形で作品を発表できること、とても幸せなことだと感じています。
誰かの生活や暮らしの中で、寄り添い、共に歩いていけるような、そんな音楽を作り続けて行きたいです。
(odol)
年夏にUK.PROJECTに届いたデモ音源。一聴してその声、メロディ、サウンドのズバ抜けたクオリティに驚き、「凄いバンドに出会ってしまった」と興奮したことをはっきり覚えています。すぐにライブを観に行き、翌日には喫茶店で好きな音楽、映画…色んなことを話して、気が合うなあ、面白いなあと。その後何度も会って話をする度、彼らの音楽は勿論、考え方や人間性にもどんどん興味が湧いて、「絶対一緒にやりたい!」と、必死に想いを伝え続けました。
結果、UKPからのリリースが決まり、1st Albumが完成。その出来にもめちゃくちゃ満足していますが、彼らはもう次の作品へ向かっています。もっと凄いのが、良い曲がどんどん生まれそうで、odolのこれからが本当に楽しみでなりません!
(UK.PROJECT 今井貴彦)
2014年東京で結成。 同年2月に1st ep『躍る』、7月に2nd ep『生活/ふたり』をbandcampにてフリーダウンロードで発表(※現在は終了)。 「FUJI ROCK FESTIVAL’14 ROOKIE A GO-GO」に出演。 2015年5月、1st Album『odol』を発売。 繊細さと力強さを併せ持った歌声、抜群のメロディ/アレンジセンスで耳の早いリスナーから注目を集める。

6/14(日) タワーレコード横浜ビブレ店
タワヨコ INDIE POP部 presents「Sometimes vol.4」
7/03(金) 仙台enn2nd・3rd
TOWER RECORDS SENDAI branch 30th Anniversary「NOrth MUSIC, NOrth LIFE.」
7/16(木) 新代田FEVER
『odol 1st Album release party「EntreeⅡ」』
8/19(水) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M6<AWAKE>
SPiCYSOL
【スパイシーソル】
Vo&Gt KENNY / Gt AKUN / Ba MOO /
Dr KAZUMA / Tp&Key PETE
オフィシャルサイト
http://spicysol.com/

音の波に乗る ポップで癖になるメロディ
の"AWAKE"収録のTo the Cというアルバムには僕らのルーツがふんだんに盛り込まれてます。
まるで海へと向かう起きぬけの朝から、疲れて帰ってきて爆睡するベッドの中までの丸一日を歌ったようなアルバムになってます。楽しさも切なさもひっくるめて夏が大好きな人、全てに聴いてもらいたいです。
Feel Ocean!! Feel California!! Let's SURF BEAT MUSIC.
(SPiCYSOL)
S
PiCYSOLが掲げているSurf Beat Music。
「To the C」を聞けばその言葉が示す音や SPiCYSOLがどんなバンドなのかわかると思う。
人懐っこくキラキラしたメロディ
そしてその音の波を乗りこなすKENNYの歌声には、 いたずら好きなやんちゃ少年のような純粋さがある。
SPiCYSOLの音楽の良さの一つは「ユルさ」だ。
肩肘張らず、リラックスする事の大切さを彼らは知っているのだ。
だから「To the C」を聞いていると心も体もほぐされ、 いつの間にか音に合わせて体が揺れてしまう。
ついつい口ずさみたくなってしまう。
夏という季節が持つワクワク感や 夏の終わりの「非日常」から「日常」に戻ってしまうような あの少し切ない気持ちまで感じさせてしまう傑作の1枚。
海岸沿いをドライブしながら聞いて欲しい。
(RX-RECORDS 正岡一樹)
2013年8月結成 2014年現在の5人編成となる 同年1stデモ『Around The World / PABUK』を発表。 「RO69JACK 2014」への入賞を果たす 2015年5月RX-RECORDSよりデビューミニアルバム『To the C』をリリース Surf Beat Musicを掲げ、日本の音楽シーンに新たなる光を与えるべく生まれたPeaceful Band

6/21(土) タワーレコード新宿店
-KENNY弾き語り-
6/27(土) タワーレコード名古屋パルコ店
-KENNY弾き語り-
6/27(土) タワーレコード難波店
-KENNY弾き語り-
7/03(金) 下北沢GARAGE
レコ発ワンマン
7/07(火) 梅田シャングリラ
7/20(月祝) タワーレコード横浜ビブレ店
7/24(金) 名古屋CLUB QUATTRO
7/25(土) 大阪BIGCAT
8/15(土) SUMMER SONIC 2015
8/19(水) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M7<Candy girl>
DATS
【ダッツ】
Vo&Gt 杉本亘 / Gt 早川知輝 /
Ba 清水旺 / Dr 大井一彌
オフィシャルサイト
http://www.datstheband.com/

新時代 ユースカルチャーの担い手
の中のことなんてこれっぽっちも分からないけど、結果とか名声とかお金とか、しょうもないよ。どうせみんな死ぬし、等しく虚しい人生だよ。だったらそんなものは後回しにして、楽しいを優先しようよ。そりゃ生きてれば色んな物差しで自分の価値が計られてしまうけど、気にしなくていいよ。今回の1stリリースは、歳を重ねてもそんな心を忘れずにいられるための作品。
(Vo&Gt 杉本)
つの作品を作ることの一種の幸福感のようなものは、何にも代え難いものだなあと知れました。
僕らの作品、手にとってもらえたら幸いです。
(Gt 早川)
まった当初はこのようになるとは思ってもいませんでした。
それもこれもメンバー全員の力の結集だと思っております。
胸が熱くなる思いです。
(Ba 清水)
生時代からずっと聞いてきた、多くの先輩バンド方達と同じUK.PROJECTからリリース出来ることを本当に光栄に思っています。今回の"DIVE"は、僕らが結成してから1年半精いっぱいやってきて、カッコいいと思うものを詰め込みました。手にとって聞いてもらえると嬉しいです。
(Dr 嵐山)
じ時間と同じ財力があったとして、人は全く同じ音楽背景を持たないことはわかっている。 彼らは20代前半。一回りくらい歳の離れた、オルタナ、USインディーで育った基本的に洋楽至上主義な自分を一瞬で本気にさせた。自分なりに時間をかけて沢山の音楽を聴いてきたという自負とある種のプライドを持ってこの仕事に就いているわけだが、同レベルの観点に、どうしてそんなに"わかっている"のか、不思議かつ脅威でならなかった。 最近盛り上がっているいわゆるシティポップ勢、とんでもないレベルだと思います。その中でDATSは一番感情が音に表れ易い、一番面白いバンドなのではないかと思っています。かっこいいけどかっこ悪い、そういう感情も見えてこそ、バンドだ とも。どうか自分の音楽(もの)にしてみてください。
(UK.PROJECT 駒形めぐみ)
2013年に東京にて結成。 平均22歳、背景にインターネット環境が既にある'90s生まれの4人はグローバルかつジャンルレスに古いものから最先端の音楽を無数に吸収。 ロサンゼルス生まれワシントンDC育ちの杉本を中心にその柔軟な音楽性で作られた楽曲はダンスミュージックとしてのソリッドな部分と何処とない懐かしさを持つ。 新世代のユースカルチャーを担う圧倒的存在。

6/26(金) 新宿MARZ
7/11(土) タワーレコード横浜ビブレ店
INSTORE ※無料
7/19(日) 大阪阿倍野ロックタウン
LIVE INFINITY
8/15(土) SUMMER SONIC 2015
※東京公演のみ
8/18(火) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
M8<ナイトダイビング>
polly
【ポーリー】
Vo&Gt 越雲龍馬 / Gt 飯村悠介 /
Ba 刀川翼 / Dr 高岩栄紀
オフィシャルサイト
http://www.polly-jp.net/

hello hello goodbye
ラゲには脳がないのを知っていますか?
脳がないということは、痛みも喜びも感じられないということ。感情がないということ。

感情を殺せたらどれだけ楽かと何度も思った。でも、それすら感情であって殺すことなんて不可能なんだと。

クラゲに憧れたりしたこともあるけど、
でも、やっぱり人間でありたいと思うわけで。そんな矛盾の渦はきっと消えることはないのだろうなって。

そんな事を考えながら僕は音楽をしています。
(Vo&Gt 越雲龍馬)
とえば、このテキストを頭の中で読み上げたとき、聞こえる声は自分の声?それとも誰かの声で再生されましたか?pollyのことをまったく知らないあなたがいたとして、CDジャケットとプロフィール写真のイメージから、頭の中で誰かの音楽が鳴ったとしたら、YouTubeなどを使ってpollyの音楽とそのイメージに違いがあったか聴き比べてほしい。そして、今回バンドの担当だからこそ書けることを考えてみる。10年以上レーベルの仕事をしてきた結果、なんとなくわかったことがひとつ。人を魅了(カリスマっていうの?)させることができるタイプの人間は、得てしてデリケートで扱い辛く、異彩、いや、偉才、いや、圧だ。近寄りがたい圧を放つ人が多い。pollyのボーカル越雲くんと数回話をしただけで、きっとこの人はそっち側の人間に違いない。という確信めいたものを勝手に感じていた。まだ彼はだいぶ猫をかぶっているが、本性をあらわすタイミングが近々きっとあるはずで、その日が来ることをわたしは日々、怯えつつ、楽しみにもしている。
(UK.PROJECT 軽部徹)
2012年4月宇都宮でバンド結成。平均年齢は20才。 2013年7月RADIO BERRY(エフエム栃木)主催「ベリコン2013」グランプリ受賞。 2014年7月UK.PROJECTが主催するオーディションで、ファイナル12組に残る。 同年12月宇都宮でのワンマンライブで200人ほどの動員を記録。 2015年4月メンバー全員上京。活動の拠点を宇都宮から都内に変え本格的にバンドが始動。 同月、Bandcampにて「Loneliness」の無料配信をスタート。

ファースト・ミニアルバム
「青、時々、goodbye」リリースツアー
6/20(土) HEAVEN'S ROCK宇都宮
6/24(水) 千葉LOOK
6/30(火) 水戸LIGHT HOUSE
7/05(日) 高崎FLEEZ
7/15(水) 福島PEAK ACTION
7/16(木) 新潟REVERST
7/28(火) 名古屋APOLLO BASE
7/29(水) 大阪2nd LINE
7/09(木) 仙台enn 2nd
7/12(日) 秋田LIVESPOT2000
7/13(月) 盛岡 club Change Wave
7/15(水) 福島PEAK ACTION
7/17(金) 新潟RIVERST
7/19(日) 広島4.14
7/28(火) 名古屋APOLLO BASE
7/29(水) 大阪2nd LINE
7/30(木) 京都MUSE
8/05(水) 神戸太陽と虎
8/19(水) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
8/26(水) 静岡UMBER
9/12(土) 下北沢club Que (Tour Final !!)
M9<1992>
PELICAN FANCLUB
【ペリカン ファンクラブ】
Gt&Vo エンドウアンリ / Ba カミヤマリョウタツ /
Gt クルマダヤスフミ / Dr シミズヒロフミ
オフィシャルサイト
http://pelicanfanclub.com/

DAIZAWA RECORDS 期待の新人
のなかで国内ならUK.PROJECT、国外なら4AD、その二つがロゴでときめくレーベルでした。
UK.PROJECTの中でもDAIZAWA RECORDSはロゴをみただけで心拍数が上がります。生粋のUKPフリークと自負しているので自分達の立場に気を失いそうですが文化になるつもりなのでよろしくお願いします。
(Gt&Vo エンドウアンリ)
逢いはUKプロジェクトのオーディションでした。最終選考まで残りましたが残念ながら賞を得る事はできませんでした。コンデションが良く無かった為かオーディションライブは正直良くありませんでした。ただ、楽曲の良さや姿勢、真っ直ぐな目が印象的で、その場所に何かを残していきました。それが何なのか気になって改めてライブを観に行くと、あの時と比べられない程、圧倒的なライブパフォーマンスに心がざわざわしたのを覚えています。オーディションという決められた場所で本領発揮できなくても、そこに何かを残してくれたから、こうしてまた出逢えたという事に、とても嬉しくなりました。その後に『Capsule Hotel』というシングルをもらい透徹とした素晴らしい音源に感動して、CDを出したい気持ちが確信に変わりました。そんな彼らのCDを夏にDAIZAWA RECORDSからリリースします。自信を持っておすすめします。どうぞ、宜しく御願い致します。
(UK.PROJECT 袴田亜理紗)
2012年に結成。甘酸っぱいメロデイーと多幸感、そしてどこかシニカルな歌詞が魅力の2015年期待のドリームウェーブバンド。 2014年10月にタワーレコード限定でリリースした『Capsule Hotel』が大きな話題となり注目を集める。そして、2015年には1st mini album 『ANALOG』をリリースしTOUR 「ANALOG」を開催し、初のワンマンライブを下北沢SHELTERで行った。

6/02(火) 金沢VANVAN V4
6/04(木) 岡山CRAZY MAMA
6/06(土) 名古屋SAKAE SP-RING 2015
6/12(金) 八王子RIPS
6/14(日) 下北沢ERA
6/24(水) 千葉LOOK
7/3(金) 仙台LIVE HOUSE enn 2nd・3rd
7/8(水) 下北沢CLUB Que
7/19(日) 渋谷club 乙
8/18(火) 新木場STUDIO COAST
"UKFC on the Road 2015"
ANALOGPELICAN FANCLUB TOWER RECORDS ONLINE
UKプロジェクトは1987年に始まりました。
1989年に最初のレコードを出してから、ずっとレコード・CDを出し続けています。
現在までに1300を超えるアイテムをリリースしています。
全てを掲載したいところですが、デビュー作の中から思い出深い「16作品」を選出しました。

今ではあまり語られる事のない、 ファーストの頃の気持ちや、
思い出や、UKプロジェクトについてのあれこれをメンバーにコメントしてもらいました。
また、その当時関わっていたスタッフも、作品についてだけでなく、
その頃の気持ち、アーティストに対しての思い入れを書いています。
当時の空気を感じてもらえると嬉しいです。
全てをここに。世界への第一歩。
レキサンドロスがデビューしたのは2010年。バンド結成10年目でようやく掴んだデビューでしたから、嬉しくて仕方ありませんでした。

でもプロとしての責任感も同時に芽生えました。インディーズということもあり周りのスタッフさん達の仕事が手に取るようにわかりました。事務所のスタッフ陣はもちろん。宣伝してくれるメディア媒体の方達。ポップを一所懸命作ってくれるレコード店の方達。まだ名もないバンドを支えてくれる数え切れないぐらいの方達に対して感謝と結果を見せないといけないと感じたのを覚えています。

音楽は自分のためにやっていますが、プロという冠が付く以上一人の力ではやれません。その自覚をどれだけのこだわりを持とうが破天荒なロックスターになろうが忘れてはいけないなと思っております。

新人の方達にはその普遍的な部分だけは忘れずに、自由にやらかして欲しいな、と生意気ながらにも願う次第です。
(川上洋平)
モを聴いた僕は、すぐさま彼らのホームページを開いた。
ライブを観に行きたい旨をメールすると、返事が来た。磯部寛之からだ。
新宿のとあるライブハウスに行った。
150人キャパのフロアは、週末だがたいして埋まっていない。
まだまだ未完成だったが、彼らのステージングに僕はこれはイケる!と直感した。それは確信に近かった。
ライブ終わりにみんなを誘って、話しを聞いた。
みんなの夢は、「グラストンベリーでトリに立つこと」「世界一のバンドになること」
川上洋平の目はキラキラかつ、ギラギラしていた。嘘ではない。
僕は一緒に彼らのその夢を叶えたいと思った。嘘ではない。本気で思った。
僕の想いを伝えると、翌日すぐに磯部から電話があった。
「ぜひ一緒にやらせてください」
その言葉に僕は、飛び上がって喜んだ。
そして、すぐさま1stアルバム『Where's My Potato?』のレコーディングに取りかかった。
シングルなど作らず、彼らのその時のベスト盤を作ろう。
彼らの持っているものすべてを今すぐ形にしようと思った。
完成したアルバムは、僕が感じた直感を確信へと変えた。
(RX-RECORDS 千田一騎)
Where's My Potato?[Alexandros] TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
ダークでオルタナティブな魂が産声をあげた
ートスクールのインディーデビュー作は 2000年の丁度、夏頃でした。あの頃の僕らは、やっとCDが作れるんだと思ってとにかく喜びの気持ちで溢れていました。全然食べては行けなかったけど、いま思うと、凄く楽しかった想い出が今でも蘇ってきます。バンドにとってデビューアルバムを出すというのは、いわゆる。。語弊があるかもしれませんが、「これでやっと童貞捨てれる!笑」くらい、夢があったことなんです。その気持ちや、感動を今でも忘れる事は無いと想います。童貞を捨てた瞬間ですからね、いわば。脱線しましたが、人生で二度と経験できない体験をさせてもらった事、その事にまず感謝してます。
(木下理樹)
のコメントを書く為に久しぶりに『SONIC DEAD KIDS』を聞いてみる。自分たちでリリースした作品とは言え、凄いレコードだなと改めてドキドキする…激しく・濃く・切実なアルバム。
今は無い池尻のスタジオ。ブースとコントロールームの階が違う狭いビルをアートの4人は何度も上り下りしながらこのレコードを作りました。
当時から木下理樹の頭の中には、鳴らしたいサウンドが明確にありました。でも初めてコミュニケーションするエンジニアにそれがうまく伝わらなくて、時に苛立ちながらも、でも根気よく必死に戦っていた姿を今も思い出します。
そして、日向秀一・大山純・櫻井雄一の3人も木下理樹のイメージを受け止めながら、さらに自分なりの音を出そうと連日連夜ボロボロになっていました。
私たちスタッフにとって、アーティストのファーストアルバムに関われるという事は特別な興奮です。そして、アーティストが大きくなり、その作品が愛され続けられていると感じられることは、かけがいのない喜びです。
そんな時間と気持ちを与えてくれたART-SCHOOL、そして応援し続けてくれたファンのみなさんに、今もう一度、心から感謝します。
(123RECORDS 浅田幸彦)
ロック×ヴァイオリン Roclassickの原点
のCDが、僕らの音楽が日本中、世界中どこまでも届いていく。
明日から世界が変わるような、自分の未来を変えていけるような、 期待と不安でいっぱいなところに、さらに根拠のない自信が掛け合わさって、 名前の付けられない特別な感情になりました。
そして実際に足を運んでCDショップでBIGMAMAの名前を見つけたその時に、 今度は責任、という言葉が自分に重く、心にのしかかって来たのを覚えています。
バンドを愛するいろんな人の力があってこの場所に置かれているということを、 強く自覚しました。
そしてその特別な感情も、強い自覚も、 今も尚、作品の発売日を迎えるごとにただただ深まり、強まるばかりです。
(金井政人)
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005年、彼らに会う為に八王子へと足繁く通った。リアドとやり取りをして、ライブを観に行きたいんだけど!と繰り返した。僕の目も見てくれないハタチの金井は、どこか大人をナメているようだったが、何回か顔を合わせるうちに同じ大学出身ということもあり、なんとなく距離も近づいた。
そして僕とBIGMAMAは一緒に『short films』を作った。
しかしお互いに、なんとなく言いたい事が言えなくて。結果、なんとなくのレコーディングに。
でも、曲が抜群に良かった!
僕のこの感覚に間違いはなかった、と確信した。
当時の彼らは、将来に希望があるのかないのか…?今が楽しければ良いのか…?
目指すところが定かではなかった彼らに僕は疑心暗鬼で付き合いながらも、音楽で生きていくことを話してみた。
そして、彼らの気持ちは決まった。
この作品の誕生と共に、彼らの道が拓けていった。
それを証明するかのように 彼らはもっともっと最高の音楽を届けることが出来たのだから!
(RX-RECORDS 千田一騎)
日本のオルタナティブ先駆者dip!
当時のことは、あまりおぼえていないのだけど、、、
この頃はビートルズの全レコーディングデータが載ってる本を良く読んでて それに影響されてた気がする。テープを切り刻んでランダムに繋ぎ合せたりとか。
レズリースピーカー使ったり、寝ながら歌ったり。
ギターをどこに何を入れるかも完璧に考えて構成表を作ってた。
あとはテレビジョン、ソニックユース、マンチェとか。
渋谷系とは一線を画するぜ!と思ってたかもw

あとは遅刻が最高潮の頃で、昼からスタートのはずが夜に始まったり…
ひとつだけよく覚えてるのは日本のレーベルなのに、なんでUKなんて名前つけてんだよ!って思った事くらいですかね、、、。
あれから、20年以上たったのに、俺も遠藤さんも元気でよかったよw」
(ヤマジカズヒデ)
茶苦茶な80年代が終わって90年代になってちゃんとしようと言う風潮をインディーズでいち早く作ったのがUKだと思います。でも世間にまだおかしな人が半分残っててドタバタしてたのを思い出します。楽しかったし、しんどかったなあ。
古くはdipの前身バンドDIP THE FLAGの楠本まきイメージアルバム『Kissxxxx』参加と『FROG MAN』からお世話になっております。ウチのメンバーは代々わがままなんですが、ポスター作る時に希望伝えて「これじゃバランス悪い」ってデザイナーさんが言っているのに「これでいいんだよ!」とゴリ押ししたりしてましたね…。dipになってからはマネージメント含めUKと一緒にがっつりやって行く事になって、更に拍車がかかっていった気がします…。
最初に出したアルバムでヤマジが「このアルバムはタイトル無し」という無茶な意見を出して、それじゃ流通できねえよと心配してたら、当時の担当の遠藤さんも凄くて発売告知情報を見ると『dip』というタイトルが勝手についていました。この件があって「やって行ける気がする」と思った気がします。
(dipマネージャー 本橋康行)
夜露死苦機械犬(よろしくメカドック)!ワンワン!から氣志團現象
志團にとっての初リリース作品『房総与太郎璐薫狼琉』は、結成初期の四人編成だった頃に録られた音源三曲と、その後の六人編成となってから録音された音源二曲をそのまま収録したミニアルバムでした。レーベルからは、当時の我々の唯一の歌モノ曲であった「One Night Carnival」を出したい、と言われていたのですが、自分達はインストゥルメンタル・バンドである事に意義を持っていたので、まず一枚目はこれを出させて欲しいと譲らず、根負けしたTiNSTAR RECORDSが泣く泣く制作してくれたのでした。と同時に、我々はこの作品が売れようが売れまいが、二枚目のリリースまでをも確約させる事に成功したのでした。また、ミニアルバムであるにも関わらず、勝手に32Pのブックレットを完パケさせ、無理矢理入稿。記念すべき初作品は、当時平均動員数3名ほどの無名バンドとしてはありえないほどに豪華な仕様となったのでした。しかし、対するTiNSTARの社長、佐川氏の悪代官っぷりも中々のもので、「一万枚売れるまではバックは一切発生しない」という条件を叩きつけられる事にもなったのでした。(ありえねー!)何にせよ、自分達の音楽がこうして形になり、商品になった事は何より嬉しく、メンバー全員で大阪の街を学ラン姿で歩き、電車に乗り、USENやFM局、 レコード店を回った事などは良き思い出であります。
(綾小路 翔)
等との出逢いのきっかけは「網走ジャニーズJr.(当時活動を並行させていた、氣志團の一部のメンバーと、 その周囲の友人らで構成されたダンスユニット)」のライブでした。「なんて芸達者な人たちなんだろう!」と、ただただ感心した事を覚えています。
これが最初の衝撃です。
後日改めて観に行った氣志團のGIGは、 集客こそ少なかったものの、既に完成された、極めてエンターテイメント性の高いステージでした。
こんなにもレベルが高いパフォーマンス力があるのに、なぜ知名度が低いんだろう、と不思議に思ったものです。これが2度目の衝撃です。
しかし、私達の間では「絶対に氣志團の時代がくる!」と確信し、バックアップを決意。そんな中、 彼らが作った作品は何とインスト曲のみのミニアルバム。予期せぬ3度目の衝撃を受けたのでした。実際、発売当初のセールス的には苦戦しましたが、開き直ってやった草の根作戦が結果的にうまくいって良かったです。
インスト曲のみのアルバムにも関わらず、あの強烈なアートワークのジャケットだけを見て、面白がってオーダーをしてくれたお店の方々に今も感謝しています。
(TiNSTAR RECORDS クボタメグミ)
房総与太郎璐薫狼琉氣志團 TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
無垢にイノセントに生きるか死ぬか
り深かったデビュー当初から、現在に至るまでに通算5枚のCDをUKプロジェクトでリリースしてきました。
今思えばどんなときもSOSに耳を傾けてくれたし、力になってくれました。
諭すのではなく、立ち止まって一緒に考えてくれました。
こちらが投げかければ投げかけるほど、応えてくれる人たちでした。
信じてくれたから、信じることができたし、愛してくれたから、友達や家族のように身近に感じました。
遠藤さんのことが大大大好きだし、袴田さんと歩んできた道のりは深く深く心に刻まれています。
これから先もずっと、ふるさとのように思うレーベルだと思います。(佐藤千亜妃)
ーベルの方と関わっての制作。自分達のやりたい音楽をちゃんと世に出せる環境なのか不安でした。
ですがやってみるとそんな不安は無くなりました。UKプロジェクトはとても親身な方ばかりで驚いた記憶があります。バンドの主体性を第一に考えてくれるレーベルなんだと思います。
今の自分達がどんな風に音楽を作ればいいのか、そんな基礎を教えてもらった大事な現場でした。とても大事な経験をありがとうございます。(谷口磁昭)
学生の頃に私が好きだったバンドのCDを開くと、ほとんど「ユーケープロジェクト」と書かれているアンケートハガキが入っていました。
もし自分がバンドをやって、このレーベルに入れたとしたら最高だなぁと漠然と思いながら過ごしていました。
きのこ帝国というバンドを始めて、UKPと一緒にやることが決まったときは、中学生の頃の私に教えてあげたいくらい嬉しかったです。
UKPはいつでもアーティストと共に走ったり止まったりしてくれる、とても温かい会社でした。
改めて言葉を書くと止まらなくなってしまうので、このへんで終わりにしようと思います。有り難うございました。(あーちゃん)
ァースト『渦になる』をUKプロジェクトから出させて頂いてから3年になります。
自分達の音楽を本当に大切に支えてくれるスタッフに囲まれてこれまで活動出来た事をとても嬉しく思います。
まるで家族のようにバンドと接してくださって、UKのスタッフの方々とだからこそきのこ帝国はこれまでの道を歩んでこれたと思います。
きのこ帝国としてのはじめの一歩をUKプロジェクトから踏み出せた事を本当に嬉しく思います。
(西村"コン")
主制作で発売していた『夜が明けたら』という作品が素晴らしくて、きのこ帝国を担当したいと思わず名乗り出た事がきっかけでした。第一印象はとても人見知りの人たちで…仲良くなれるか心配になった記憶があります笑。お互いのアイデアを形にしていく毎に信頼関係は増し、結果5つの作品を作りました。この作品だけは違いますが、きのこ帝国の作品は全て合宿レコーディングにて制作しました。音楽に集中した環境で真夜中に録音した「ユーリカ」の歌が神憑っていてとても興奮した事だったり作品毎の出来事を覚えています。真夜中のリビング、皆で疲れながらも雑談したりお酒を飲んだり、タランチュラ級の蜘蛛が出て大騒ぎしたり色々な思い出もあります。ある日届いた「東京」のデモ音源、聴いた途端にすべての感情が溢れ出てくるような居てもたってもいられない感動に出逢いました。聴いたその時からこの名曲を世に出す事ばかり考えていました。この楽曲をきのこ帝国のインディーズ時代に出せた事、心から光栄に思います。
(UK.PROJECT 袴田亜理紗)
光や希望を見出そうとする彼らの第一章
ビューが決まってライブやレコーディングでスケジュールがどんどん埋まってそのお陰でバイトに入れなくなって金欠に拍車がかかって下北沢へ行く電車賃すらなくなって取材に行けなかったり挙句レコーディング中に失恋したり失明寸前な目の病気にもかかったりしながら作った、僕にとって決して忘れる事の出来ない「はじまり」の一枚です。あれから十数年、僕らも随分と大人になりましたね。
(海北大輔)
の作品がリリースされた2002年に僕はUKPの営業3年目。当時営業先のお店には「青春パンク」と高らかに書かれたPOPが当たり前のようにあり、そのコーナーは大変な賑わいだった。恋愛や友情、トラウマ、夢、情熱、などを若者の個人的な出来事や感情を前向きな歌詞にし早急なビートとPOPなサウンドに乗せ、ライブは皆で拳を挙げて歌いその一体感でシーンが出来上がっていた。そんな中彼らは異端だった。「もう二度とあの日と同じ花は咲かない」(花)、「僕のこの心はきっと汚れている」(翼)「笑い合った日々を僕は忘れない」(手紙)この作品には荒削りだが海北の唯一無二の歌声、無常観、そして少年から大人になっていく過程で苦しみ、迷い、絶望を受け止め受け入れ、成長していく姿が収録されている。生きるということは一見足し算のようで引き算なのかも知れない。バンド名の如く既に失っていることを受け止めて少しでも光や希望を見い出そうとする彼らの第一章が此処にあり。
(専教寺住職 池田誓哉 exUK.PROJECT)
冬空と君の手LOST IN TIME TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
最強ライヴバンドが轟音ロックをブチかます
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9年12月に『DRIVE』というミニアルバムをリリースしました。地元福岡のイサムがバイトしてた貸しスタジオにて深夜閉店後にこっそり忍び込んでのレコーディング。エンジニアはバンド友達のタイラくん。右も左も分からずお金もなくアマチュア感満載のレコーディングでしたが当時のリアルなバンドの姿をカタチに出来たと思います。ショップに自分のCDが並んでるのを見つけた時は興奮しました。正直セールスは思ってた数の1/10やったけど、井の中の蛙が最初に鼻っ柱を折られたエピソードとして今は懐かしい思い出です。
(百々和宏)
時、福岡在住のメンバーはライブのたびに14時間かけて機材車を転がして東京に来ていました。UKPの事務所に寝袋で寝泊まりした事もありました。なのに疲れを一切感じさせない圧倒的なパフォーマンスとヒリヒリとした緊張感のライブは完全に異彩を放っていましたね。そんな彼らのファースト『DRIVE』は爆音で聴きたい1枚。
(UK.PROJECT 若槻亜希子)
胸にいつでもP!恐るべき10代の初期衝動
1st P』のレコーディングはとにかく大変だったという思い出しか無い。
初レコーディングということで無駄にテンションが高く、知識も無いのに何も考えずにやりたいことをやろうとしたので、エンジニアさんは大変だっただろうな(笑)。完成後に「もっとああしておけば…」と思う時もあったけど、言い出したらキリがない。
「若気の至り」という言葉では片付けられないほどの「蒼さ」が出まくっていて、一時期あまり聴かなかったけど、やりたいことをそのまま詰め込んだ分、フレッシュな衝動や空気感に満ちていて、今聴いても充分イビツでヤンチャな面白いアルバムだと思うので、これで良かったと思う。1stは整理しすぎない方が良いのかも(笑)。
(ハヤシ)
P
OLYSICSと出会い、1stアルバムを作るということが、DECKRECというレーベルを立ち上げた理由でした。
メンバーも僕も若く(メンバーは当時10代)経験もなく何もかもが手探りで、面白いと思う感覚と好きなものへの情熱だけで作ったアルバムです。
未完成な部分や、技術的な未熟さを差し引いても、のちの作品には絶対に超えられない「何か」が1stアルバムには必ず記録されています。その「何か」を共有できたことが1stアルバムを作った大きな結果や意味でもあり、自分やバンドにとっても大きな財産になっていると思います。
その「何か」は自分にとって「初期衝動」 であり「ルーツへの愛情と憧れ」であり「ロックンロール」という観念なのかもしれません。
(DECKREC ネモト・ド・ショボーレ)
PEACE & UNITY & SKA PUNK!
校の終わり頃、才能もノウハウもコネもなかったけど、どうしてもバンドがやりたくてPOTSHOTの原型となるバンドをはじめた。いろんな音楽性を試したり、ライブハウスに出るにはデモテープ(当時はカセットテープ!)というモノが必要らしいぞ、と借りてきたMTRを駆使してデモ作りに奮闘したり、昼間の部のオーディションライブに出たり、今にして思えば法外なノルマをかせられた詐欺まがいのイベントに出演したりして、試行錯誤してる頃に天からの啓示のようにスカ・パンクに遭遇しました。動物的本能というか直感でコレだ!と思いました。1995年の夏頃にバンド名をPOTSHOTと改名。そうこうしてるうちに参加してたメンバーの半分が掛け持ちでやっていたバンドpre-schoolのメジャーデビューが決定!契約上の問題やスケジュール的に掛け持ちは難しいということになり、卒業制作的なノリでデモ音源作りにチャレンジ。ほぼ解散するつもりで海外に送ったデモテープを聴いてくれたスカ・パンク界の神様マイクパーク(ASIAN MAN RECORDS)から連絡があって、こりゃ今さら解散するとは言えなくなって、またメンバー探しに奔走しながらライブ再開!海外はASIAN MANから、国内はCR JAPANから同時発売というカタチで1stアルバムのリリースが決定!にもかかわらず、メンバーは固定せず、相変わらずのドタバタ。でもツライと思ったことは1度もなかったです。楽しいことをやっていたので。音楽でメシ食おうなんて時代じゃなかったし、それを夢にしてたワケでもなく、ただバンドやりたいってだけで始めて、オリジナルの曲を作りたい、ライブハウスでプレイしたい、7インチレコード出してみたい、あの雑誌に載ってみたい、憧れのバンドと対バンしたい、日本ツアーをしてみたい、アルバムを出してみたい、いつか海外ツアーしてみたい、ただのその積み重ねで、気付いたら40歳オーバー!まさかこの歳までバンドやってるなんて、当時の自分に教えてあげたい(笑)
(RYOJI)
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997年頃、当社の藤井淳社長が「日本の新しいPUNKシーンがオモロいんや~」と言い出して、POTSHOTを見に行きました。僕のイメージするパンクは1977年頃の初期パンクだったので、POTSHOTの半スボン姿で、イエーと明るいノリのスカパンクに驚きました。RYOJI君は当時からナイス・ガイで、来た誘いにはなるべく応えて、それがまた幸福を呼んだのだと思います。ロンドンでもドイツでもスイスでも極東の日本から来たスカパンクが受け入れられて盛り上がった時には驚きました。そこには2tone以来の伝統なのか、人種差別の欠片もありませんでした。今年、結成20周年と言う事で再結成公演がありますので、楽しみにしております。
(UK.PROJECT 北島健司)
唯一無二、孤高のスリーピースの原点
らは年齢的にもデビューが遅かったので、最初で最後のバッターボックスだと思って挑んだのを覚えています。
だからこそ自分にも他人にも一切妥協を許さなかったし、一部のスタッフにはただただ気難しいヤツらと思われていたようです(すいません)。
でも気を使って産声を上げる赤ちゃんなんて気持ち悪いですし、「健康的な迷惑」を新人はどんどんかけやがれと期待しているような、少しどうかしているスタッフもいます。
少なくとも僕が知っているUKプロジェクトはそういう会社です。デビューおめでとうございます。
(五十嵐隆)
れは2000年。初めてあったときは、3人ともなかなか口を利いてくれなかった気がする。別に嫌ってるわけじゃないんだけど、お互いに人見知りだったのかなぁ。きっとヒリヒリしてたんだと思う。ファーストアルバムのレコーディングは、収録曲が変わり、レコーディング日程が変わり、最後はスタジオも変わった。今思うと、よく完成したなぁと思います。大混乱の中、必死にたどり着いたのが『COPY』で、これは大名盤だと今でも思ってます。やむにやまれぬ衝動をCDに焼き付けるためには、そんなプロセスも必要だったのかも。あれがあるから今がある。あのときのカオスを一緒に体験できたのは、今でも誇りです。そして、アルバムの内容も。
(UK.PROJECT 遠藤幸一)
埼玉発下北経由、日本全国DISCO化計画!!
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008年頃、僕らは最初にいたレーベルを抜けて新しいトコを探していました。
若かったし、何も知らなかった。そして、いわゆる業界に対して疑心暗鬼でした。
でも新しいCDを出したかったし、何よりシーンを変えたいと思ってました。
なぜそこでUKプロジェクトと契約したかと言うと、うーん、色々ありますが結局は"社長の人柄に惹かれた"からだと思います。
この人なら僕らメンバーと同じくらいに作品を愛してくれる。そんな気がしました。
そこで生まれたのが未だに僕らのライブでのアンセムになっている"Love&DISCO"という曲です。
正にファーストならではの魔法がかかってると思います。
(石毛輝)
U
KP!!!U(ウルトラ)K(クレイジー)P(パワー)!!!未来は明るいぜ!!!
(岡本伸明)
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stミニアルバムを出したとき僕らはまだバイトをしていました。当時、昼は埼玉でバイト、夜は都内でレコーディングという生活をしていたのを覚えてます。
そんな環境で作った作品は、楽しいというよりも大変なことが多かったけど、その後のレコ発やツアーでたくさんの人が僕らのライブに足を運んでくれて全てが報われたような気がしました。
バンドを続けることはいつも刺激的なことばかりですが、中でも1stアルバムはやっぱり特別な気がします。
今でもたまに聴き返してみると、あの時のことを思い出して甘酸っぱい気持ちになります。
(長島涼平)
めてCD出して、初めてツアー回ったことがとにかく嬉しかったです。
その初めてが楽しくて、忘れられなくて今もバンドやってますね。
1stは僕のバンド人生の原点で原動力だと今も思っています。
(松本誠治)
レフォンズは出会った時から今の今までずーっとキラキラしてる。だいぶ眩しいよね。僕もスタッフとして一緒にいて、彼らに張り合うように自分自身もキラキラさせようと思って背伸びしてきた。おかげで、だいぶ成長させられました。なんかなぁ、僕にとっても青春です。彼らはきっと、ファーストでもセカンドでも、10thアルバムだって、たとえラストアルバムでも、いつまでもフレッシュな気持ちで音楽と向かい合うんだと信じてます。ありがとうLOVE、ありがとうDISCO、ありがとうFOREVER!!!
(UK.PROJECT 遠藤幸一)
Love & DISCO E.P.the telephones TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
日本を代表するロックバンドTMGEの世界の始まり
当に人気がなかった。
ライブ当日は必ず銀行に行ってお金をおろした。
ノルマなるものがあるからだ。
やっと週末のブッキングがもらえるようになった。
嬉しかった。
そんな時二人の男が現れた。
UKプロジェクトの遠藤さんとキタジーだ。
「うちから出さないか?」
と言う。
「なぜ俺達なんだ?」
と聞くと、
「自分達がやりたい事をやってみたい。」
と答えたような気がする。
が、確かではない。
珉亭でおごってもらった。
嬉しかった。
レコーディングはライヴを録る形でおこなわれた。
今考えると低予算で済むからだと思う。
事実かどうかはわからない。
CDができあがった。
本当に嬉しかった。
勢いだけはあったと思う。

20年以上たった。
今でも新しいレコードをつくる時にワクワク、ドキドキする自分がいる。
(ウエノ コウジ)
ッシェルさんと初めて会ったのは当時の下北沢屋根裏の上のスタジオで二位店長(現在、CLUB Que店長)企画のオムニバス『sprits of 1993』の録音の時やったね。生意気そうなイメージだった千葉友介くんには最悪な印象だったと思う(笑)。その後、ライブを見に行ったら、Dr.FEELGOODやTHE ROOSTERSなどの影響を感じて、めんたいロックの末裔だと勝手に思うたとです。COOLな出で立ちながらもライブは、とてもHOTで、すぐに魅了された。自分の好きな日本のバンドは売れないと思うとったので、その後の快進撃には本当に感動した。彼らと彼らのスタッフに感謝してる。今ではウエノくんもキューちゃんもチバくんもいろいろな人と演奏して、引き出しが沢山出来ていて、バンドマンとして、いい年の取り方をしてると尊敬しています。今もあの4人の大ファンなので、もしも夢が叶うなら、もう1度だけ、あの4人でのライブを見たかった。
(UK.PROJECT 北島健司)
MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!THEE MICHELLE GUN ELEPHANT TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
まるで映画を観ているような世界
T
HE NOVEMBERSがUKPからデビューしたのは2007年で、僕が21歳の頃です。
自分たちのCDがお店に並んでいる様子を見て、不思議な気持ちになったのをよく覚えています。
大好きな◎◎と同じ棚に並んでる、なんて感動したりしました。

当然ですが、“最初” “初めて” “1st” というものは誰にとっても一度きりの物事です。
それは得てして未熟で、荒削りで、拙く、未完成で、だからこそ今では表現できないようなストレートさや、素朴さ、純粋さがあります。
久しぶりに当時の作品を聴きました。「ああ、自分達はここから歩いてきたんだ」と胸を張れるような作品でした。
そんな自分たちの1stをUKPから発表できた事に、心から感謝しています。
誇りに思っています。

UKPにも、21歳の自分にも、いつでも胸を張っていられるようにこれからも歩いていきます。
またみんなで遊びにいきます。
(小林祐介)
H
IGHLINE RECORDSというCDショップのDEMOコーナーでTHE NOVEMBERSの音楽に出逢いました。初めてライブを見たのは2005年11月の渋谷屋根裏で当時メンバーが加わったタイミングだった為かライブの印象はあまり良くなかったのですが…暫くして新たに出たDEMOCDに再び惹き付けられてライブを観に行き「CDを出したい」と伝えて『THE NOVEMBERS』をリリースする事になりました。この収録曲は私が好きになるきっかけとなったDEMOに入っている曲も数曲収録されています。レコーディングは吉祥寺のGOK SOUNDで5日間で録音し終えました。そういえば、当時彼らはまだ大学生でした。祐介の卒業証書のコピーは今も私のデスクに飾ってあります。彼らと過ごした時間が私の人生の中で最も濃い部分な気がします。独立し1年半以上が経過し、彼らが彼らのやり方で、彼ららしく活動している姿にいつも刺激をもらっています。これからの活動もずっと応援しています。
(UK.PROJECT 袴田亜理紗)
ご存知レミオロメンの原点
ミオロメンは『フェスタ』というミニアルバムでデビューしました。その当時、僕らは山梨の神社を借りてスタジオにし、曲作りをしてました!
その建物の屋根から撮った写真がジャケットになってます。
レミオロメンに本当に魂が宿った、僕らの原点の景色であり作品でした!
(藤巻亮太)
しあなたが音楽制作に携わるとして、「100万枚売れるアーティスト」に出会うことなんて、それこそ一生に一度あるかないかだと思いませんか?僕にとってレミオロメンは、まさにそんな出会いを強烈に感じさせるアーティストでした。田舎町の幼馴染みが神社に集まりバンドを始めたストーリーや、自分の遠距離恋愛を赤裸々に歌うピュアな音楽は、言葉にできない感動があり、且つ誰もが感動できる素晴らしさが、すでにデビュー前からありました。これを逃したらもう二度と彼らのようなミュージシャンに出会うことはないと夢中で追いかけたものです。その後、彼らは瞬く間に世代を代表するメジャーバンドへ上り詰め、誰もが知るヒット曲を飛ばすまでに時代を築きました。『フェスタ』はそんな彼らの原点であり、今聴いても色褪せない瑞々しさに溢れた一枚です。
(Speak & Spell 増本康祉 exUK.PROJECT)
フェスタレミオロメン TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ
突き刺すロック/艶ロック日本代表
U
Kプロジェクト。
僕の音楽人生を語る上で(と自分で言ってみる)絶対に欠かせないこの謎のインディーレコード会社。
場所は下北沢代沢。下北沢と言えば僕があの駆け出しのよくわかんないスタイルでやってた頃の思い出の場所。
(葛西に住んでいたのでライブ後は終電を逃して必ずワタミで朝まで)
当時椿屋四重奏はとにかく独創性はあったけど、僕自身が見せ方や戦略などにおいてとにかく彷徨いまくっていて、ギターロックなのか歌謡ロックなのかオルタナティブ・パンクなのか人によってはコミックバンドとも思われていて、業界人が観に来ても「扱い方が解らない」「10年やって渋谷屋根裏ソールドくらい」とか、結局誰も手を付けてくれなかった。
そんな時現れたのがUKPの新人だという滅茶苦茶ミニモニサイズの(推定身長120cm)、何かバンド好きそうなメガネッ子のはかまだありさ。
19歳のちびっ子のくせに態度がデカくて「何だこいつは!?」と思っていたが結局声をかけてくれたのは彼女だけだった・・。それでとりあえずお試しでってことでミニアルバム『椿屋四重奏』がなんかしらんけどスマッシュヒットして、はかまだはとにかく頑張って後の名盤『薔薇とダイヤモンド』もヒットさせてしまう。
長くなるのでここから思いっきり端折りますが、そのおかげで今の僕があります。
とにかくこの会社の人たちは皆愛情深くて世話焼きで一生懸命。で変わってる(笑)
一緒に切磋琢磨出来るからこっちのやる気次第でいくらでも共闘してくれる。
はじめからある程度勝ちを見込めるアーティストじゃなくて、
なんだか売れるか全く未知数だけど、もしかしたらその才能世の中揺さぶっちゃうかも!
みたいな視点で原石見たいのを探し出してくる、本来あるべき音楽プロダクションのモデルケースみたいな所です。今勢いあるしね~。
その代わり凄い甘やかしてくれるから、その後メジャーでめっちゃしごかれましたけど(笑)
あそこがスタートで本当に良かったなあ。皆さん感謝してます。
(中田裕二)
めて観た椿屋四重奏は、作務衣を着て「椿屋四重奏、見参!」と叫び和心を大事にしたスタイルでライブを演舞と呼び活動していました。そのインパクトに衝撃を受け、目が離せなくなった事を覚えています。入口はそこからでしたが、楽曲の良さと歌唱力・ユーモアに魅了されてライブに通いました。そんな頃にUKプロジェクトに入社する事になり「CDを出したいバンドがいるなら出していいよ」と言っていただいて初仕事が椿屋四重奏のCDを作る事でした。右も左も分からずただ熱量だけ多い若者の私でしたが、関わってくださった全ての人のお力のおかげで椿屋にとっても私にとってもデビュー作の『椿屋四重奏』が完成しました。4年強、椿屋四重奏と共に歩みました。中田裕二はとても真っ直ぐで、ごまかしのきかない人でした。彼の理想を実現できるように誠心誠意向き合っていた日々だったと思います。おかげで今があると言っても過言ではないくらい、私の基盤を作ってくれたとっても重要なバンドです。
(UK.PROJECT 袴田亜理紗)
椿屋四重奏椿屋四重奏 TOWER RECORDS ONLINE UK PROJECT詳細ページへ

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