THE MIGHTY MOGULS
ザ マイティムガルズ
Profile
- MEMBER:
- ミッフィー フジタ("Vo, B") マサト(Dr) チャッキー ノナカ(G)
“1993年
ミッフィーとチャッキーがメン募を通して知り合う。この時ミッフィーは泣く子も黙るパンクドラマー(ドラ娘)だった。チャッキーはルーツR&Rを教わりたくて弾けもしない鍵盤でジャイブバンド等に参加していた為、ギターを手にするのはしばらくぶりだった。 2人の接点は唯一CRAMPS。
1994年~1997年
いろんな人達とセッションをしながら、自分達にとって一番のサウンドは何なのかを模索する日々。でもかなり脳天気。 1998年1月
ミッフィーが酒の勢いで口にした「あたしはホントはフロントに出て暴れたいんだ!」のカミングアウトによって、2人の新バンド結成が決まる。ミッフィーはボーカルはもとより、弦楽器を持つのも初めて。それはゼロからのスタートではなくマイナスからのスタート。
1998年7月
2人だけのスタジオセッションが半年続いた後、ようやく最初のドラマー、タイ君が加わる。
1998年12月
バンド名をTHE MIGHTY MOGULSと命名。自らを「ムガール帝国(よく解らないが何となくオリエンタルな国?)の英雄だあ!」と嘯くアホなティーンエイジャーになぞらえる。ハイスクールのダンスパーティーに備えて練習に励む。
1999年2月
UFO CLUBで初ライブ。ガッツのみ。でも手応えあり。
1999年初夏
ロッティーの企画「GOOD NIGHT LITTLE SCHOOL GIRL」に出演。
「もっと日本のフラットR&R、パーティーサウンドのシーンを盛り上げていきたい」という彼等の考えに共鳴。
1999年秋
現在のドラマーであるマサトとメン募を通して知り合う。パブロック仕込みの男勝りな凄腕ドラムにビビる2人。しかし、彼の九州男児の影に潜むお茶目な感性が、ムガルズに馴染んでいくことによって徐々に発揮されることになる。
2000年2月
ロッティーやロイヤルフィンガーズの口利きで、ちゃっかり「INST&SHOUT」のオムニバスCDに参加。レコーディングではビンテージな録音機材の針を振り切らせて壊しかける。自分達の出音がデカいことを痛感。でも反省しない。
2000年5月
アメリカ、テキサスよりJUNIOR VARSITYが来日。ロッティーの尽力でムガルズも東京公演にちゃっかり出演。JVのキュートなキャラに感激する。この日出会った人々が後のムガルズに大きく影響を及ぼすことになる。
(このツアーの模様は、パンダリラよりオムニバスビデオとしてリリースされている。
収録アーティスト:ニートビーツ、チロリアンテープチャプター4、HAVENOT’S)
2000年7月
JVとのライブを見に来ていた山口氏が、サックスで参加することになる。結成当初からの希望だったパーティーR&Rサウンドのイメージにより近づく。
(山口氏はデキシード・ザ・エモンズのアベジュリーやジャッキー&セドリックスのエノッキーと共にソトルソチャードに参加中)
2000年5~12月
いろんな方から素敵な企画に誘ってもらいライブを重ねる。大阪や浜松へのツアーも。秋の学園祭ライブ(文教大学)では見晴らしのよい野外特設ステージでハッスルする。
2001年3~4月
国内での認知もままならないのに、いきなりテキサスツアーを敢行。JVと一緒にダラス、ヒューストン、オースティンを周る。想像をはるかに超えた大盛況で一同感涙。「君たちは今まで何処に眠っていたんだ?!」と言われる。
2001年4月
テキサスより帰国した翌日から、今回のCDのためのレコーディングが始まる。ツアーの感激をそのままスタジオに持ち込んだので、異様にテンションが高い。ハチマ氏と一緒にバカ踊りをしながら録り終える。 “